「恋人ができたんだ!《
春を告げる風のように、彼は部屋へ飛びこんだ。軽やかにさえずる声は花園に住む鳥のよう。
「とても素敵な子なんだ。一番に君に伝えたくて!《
彼の瞳は熱で浮わついていた。常に白かった頬は桜色に染まり、最上級の笑みが咲いている。宮殿中の称賛をほしいままにする紅顔は、幸せそうな表情がよく似合っていた。手足は細く、骨っぽさが目立つが、必要な筋肉はついているのだろう。つんと張った肌は、若さの絶頂にあるように見える。
少年と呼ぶにはもう育ちすぎていて、青年と呼ぶにはまだ、ほんの僅かに青すぎる。そんな姿の彼が立っているのは、この国の宰相の執務室。話しかけているのは、部屋の主、カゼル・ブリューゲル宰相。
還暦を間近にしてなお、黒々と色をなす頭髪。知性をとろりと注ぎこんだ琅玕のような落ち着いた双眸。広い肩幅としゃんと伸びた背筋には、往年の猛き面影を見ることができるだろう。これまで重ねた多くの経験が皺の形をとって浅黒い顔に刻まれている。
詰襟の法衣を纏って、整頓された机の前に向かう宰相は、王の信頼も、民の人望も篤い。
彼の無礼を咎めようともせず、カゼルは目を細めた。
「それは、それは――《
おめでとう、と言うべきなのだろう。
彼は自分が結婚を告げた時も、同じように最上級の笑顔で祝福してくれた。彼が普通の女性を娶ることは困難なことではあるが、それを指摘するのは後でもできる。彼の一番の友人として、カゼルはおめでとうと祝うべきだ。
けれど、さして渇いていないはずの喉は、張りついたまま動いてくれなかった。
「僕はいつもカゼルを心配させていたよね。『恋のひとつでもしたらどうだ』って。だけど、もう大丈夫だよ。僕は彼女を愛してる。きっとどんな障害だって跳ね返してみせるさ!《
マホガニーの机の端に、彼は腰かける。薄い紗をひいた窓硝子からさす陽光が、色素がほとんどない彼の髪をいっそう薄く輝かせていた。
上体を傾けて、彼はカゼルの目の前に顔をよせる。艶やかな爪を持つ十指がそっと近づいて、カゼルの頬を包んだ。
「今まで、本当にありがとう。僕は君という親友を持てたことに感謝しているよ。君がいなければ、僕は彼女と出会うことさえできなかったと思う。ありがとう、カゼル《
熟れ始めた桃のような唇に吊を呼ばれる。彼の吐息を吸ってしまいそうな距離に、カゼルは身を強ばらせた。
「礼はありがたくもらっておくがね、サディ。こんなに至近距離で囁いていたら、君の彼女に睦言だと勘違いされても、責任は持てないぞ《
彼――三王直属特別相談顧問官、サディ・フォン・レーヨンはパッと顔を赤めて手を放した。机から飛びおりて、唇を尖らせる。
「ひどいぞ、カゼル。エナはそんな誤解をする娘じゃない!《
「ほぅ、君の恋人はエナという吊前なのかね?《
さらりと話題を彼女に向けると、サディは抗議を後回しにすることにしたらしい。
「そうだよ! 彼女と初めて出会ったのはね……《
と、頼んでもいないのに馴れ初めやら、性格やら、どんなところが素敵なのかやらを語り始めた。王直属の顧問官といっても、恋をすればそこらの男と変わらなくなるらしい。もう自分には燃え尽きた若さ故の情熱を眺めながら、カゼルは静かにため息をついた。
とうとう、来るべき時がきた。