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Felicitar.2

 サディとカゼルの出会いは、おおよそ五十年ほど前にさかのぼる。まだ物心ついたばかりだったが、カゼルは対面の瞬間をよく覚えている。
 たぶん、貴族である両親に連れられていったパーティーのうちのひとつだろう。カクテルグラスが蝋燭の光を受けてキラキラと遥か頭上を飛びかっていた。
 いずれ王へ直々に仕える方だからと、カゼルはサディに挨拶をさせられにいった。
 さらさらの白い髪。半ズボンからのぞく華奢な膝小僧。その頃から彼は、ほっそりとした子どもだった。
 窮屈な朊を着せられて、退屈な大人たちの終わらないおしゃべりに飽き飽きしていたカゼルは、同い年くらいの子どもに会えた喜びで、純粋に手をさしのべた。よろしくね。なかよくしてね、と。
 けれど返事は、冷たい平手打ちだった。
「いやだ! どうせおまえもどっかいっちゃうんだ!《 
 伸ばした手を打たれたのは、初めての経験だった。
 サディの薄い紫の瞳が燃えていた。その虹彩の意味を、幼いカゼルは知るよしもなかったが、瞳で燃えていた火の意味は十分に理解できた。
 彼は怒っている。と同時に嘆いている。
 何度も期待を重ねて、何度も裏切られた子どもの顔をしている。
 当時のカゼルが、このように明文化して思考したわけではない。その時感じた直感を、成長した後にふりかえって、言葉を当てはめればそうなるというだけの話だ。
 当時のカゼルは、初めて出会った激しい感情の塊に雷にうたれたように立ち尽くしていた。
「どうして……?《
 おそるおそる尋ねると、サディは責めたてるように眉をつりあげた。
「みんな最初はそう言うんだ! よろしくって、ずっと仲良くしようって。でもそんなの嘘っぱちだ。みんなみんな年をとって、僕をおいてけぼりにする。それくらいなら、最初から親密にならないほうがマシなんだ!《
 ギリ、と、音が聞こえそうなほど強く、彼は唇をかむ。
 三王直属特別相談顧問官――当時のカゼルは知りえぬことだったが、その役職は得ようと思って得られるものではない。また、その地位は降りたいと思っても、けして降りられない。役職というよりは、天命と呼んだ方が良いのかもしれない。
 彼らは人の三分の一の速度でしか成長しない。与えられた寿命は百二十年。おおよそ六十歳程度の外見で天に召される。
 それ以上生きた顧問官はいないし、それ以下で死んだ者も、上思議なことに存在しない。定められた長さを生きる彼らは神話の時代から、三代の王の治世を見守り、助けるために在ると伝えられている。それ故、議会制をしき、国政の進退を会議で決める今になっても、王と顧問官は存在しつづけている。
 新しき顧問官は、前任の顧問官が三十路を越えた頃に誕生する。顧問官の血をひくのではなく、国内で産まれる紫の目を持った赤子がそうだ。紫瞳の子は王宮にひきとられ、しかるべき教育を受けて、次代の王を助けるべく成長する。普通の子どもの、三分の一の速度で。
 だからカゼルが会った時のサディは、傍目には七つか八つの幼子にしか見えなかったけれども、実際には二十余度の春を送った老いた子供だったのだ。
 サディと同じ年に生まれた子供たちは、サディを置いて自らの時を生きていく。何度永遠を誓っても、誓うたびにサディは裏切られていた。いっそ、永遠を信じなければいいと思うようになったのも、仕方のないことだろう。人と異なる時間で生きる証、紫色の虹彩は失意に濁り、その濁りを憤怒で燃やしていた。
 激情にかられ千紫に輝く瞳が、幼いカゼル・ブリューゲルに与えた影響は大きい。人生で初めてと言えるほど激しい拒絶にあったというのに、カゼルの胸には甘い泉のような言い知れぬ感情が湧きおこっていた。それを何と呼ぶべきか、カゼルは知らなかった。ただ奔流と化した甘露にのまれ、唇は勝手に動いていた。
「それなら、きみはぼくを好きにならなくていいよ《
 想像していない返事だったのだろう。サディの戸惑った呟きが耳に伝わった。
「ぼくがかってに、きみを好きになるから《
 打たれた手を引っこめて、カゼルは小さくえくぼを浮かべた。のちに――宰相の地位に就くより以前に――外交官として諸国を唸らせていたカゼルの交渉術は、この当時から芽生えていたのかもしれない。サディはまんまるく目を見開いて、プッと噴きだした。
「じゃあ君は、いつかこの僕サディ・フォン・レーヨンをおいてけぼりにしても、君の勝手だっていうの? そんな我儘なことを言ったのは君が初めてだよ!《
 笑んだせいだろうか、サディの頬に軽く薔薇色がさした。その時初めて、カゼルは目の前の少年の整った造作に気がついた。泡より生じた女神に愛されたかのような、麗しい相貌を、細い肢体がバランス良く支えている。怒りの炎が消え去れば、サディの双眸は母の持つ大粒のアメジストより澄んでいた。
 まだ言葉を飾るすべを持たないカゼルはただ「きれい《と思った。以来、彼は美しい女も男も同じくらい多く見たが、甘露の感情と共に「きれい《だと思ったのはこれきりだった。
 蜜を舐めるようにサディを見つめていた彼は、さし出された手に気づくのに少々の時間をいりようとした。
「その大胆な我儘に敬意を表して、僕も勝手に君を好きになることにする。さっき手を打ったことは謝らせてほしい《
 バツが悪そうにはにかんで、サディは小首をかしげた。許してくれるだろうかという言外の問いに、カゼルもまた言葉では答えなかった。二人の子供の小さな手が固い握手を交わす。ぶっきらぼうな好意の投げつけあいが、熱い友情の交流になるのに、時間はかからなかった。

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*2011.07.01.up*