閉じた瞳の裏側に、サディと過ごした季節が巡る。
サディより三倊の速度で年をとるカゼルは、せめて自らの地位だけでもサディと対等にしようと多くの努力を費やした。議会をまとめ、王に直接国策を奏上する宰相は議会制の、そして国の頂点に立っていると言っていい。貴族とはいえ、そう上流ではないブリューゲル家から宰相が出るのは前代未聞の出来事だった。カゼルに問えば決して肯定はしないだろうが、サディの親友としてつりあいが取れる立場にあろうと、出世の階段を駆けのぼったのは事実だった。現に、特別顧問サディの一の親友はと問われれば、国民は皆、宰相カゼルと答えるだろう。
たとえば学生時代、檸檬色の花と一緒に送った恋文が冷ややかな視線と共につっかえされたとき。
たとえば外交官時代、大国との難しい交渉を成功させ、会議場を背にして灰蒼の礼朊の上着を脱いだとき。
たとえば妻との婚約時代、些細なことが原因の喧嘩で額に青い血管を浮かべながら管を巻いていたとき。
カゼルの人生において病める時も健やかなる時も、隣には紫色の瞳に淡い喜色を浮かべるサディがいた。外見の年齢が近い頃はまるで兄弟のように。離れていくにつれ、親子のように、師弟のように、祖父と孫のように、形は変われども、深く濃い親愛の情交は続いた。
そして今、サディは春の訪れをカゼルに話している。カゼルが妻となるべき人を紹介したときも、同じように喜んで祝福してくれたと思う。もう何十年も前の話だから記憶はおぼろだけれども、そのときも今と同じように、渇いていないはずの喉がうまく動いてくれなかった。
おめでとうと言うべきだ。言わなくてはならない。
老いたカゼルの脳には、強迫観念のように祝福の言葉がぐるぐると旋回する。しかし回転数を増せば増すほど、喉はおろか、口さえ強張って微動だにしてくれない。
ぎこちないガゼルに気がついたのか、サディが惚気るのをやめて、ひたと視線を定めた。
「君が言いたいことはわかってるよ、カゼル。僕が老いるのは人よりずっとずっと遅い。僕の恋人はあっという間にしわくちゃのおばあちゃんになってしまう。僕よりもずっとずっと早くに命が尽きてしまう。それでも恋してられるかってことでしょう?《
サディは悲しげに微笑むけれど、それは本当に一瞬のことで、すぐに柔らかい表情を示した。彼はもう、おいてけぼりにされる自分を嘆いてなどいない。あの時から五十年ほどたった今では、とり残される自分よりも、彼を残して先に逝ってしまう友人たちの悲しみの方が深いことを知っていたからだ。
「確かに、恋をしてはいられないと思うよ。恋は一過性のものだから。朝が来ればしぼむ月下美人のように、いずれ儚く消えていくものだ。けれどね、枯れた恋は枯れた花のように、愛という果実を残すよ。愛は朝が来ても消えない。どれだけ時間がたとうと、どれだけ彼女が変わってしまおうと、僕の愛ははっきりと存在している。それは永遠に恋ができないことと同様に、世界の真理なんだから《
自分をひたむきに見つめる視線の中に、カゼルは強い意志を見つけた。彼の一番の友人は、軽やかに体を操るわりには、かたくなな心を持っていたりする。おそらく彼の愛は永遠だろう。一度決めたら揺らがないサディの気性を、カゼルはよく知っていた。
音もなく、唇の両端があがる。若者の青い情熱に対する老人の嘲笑かと思ったのか、サディの顔が曇った。
「カゼルは喜んでくれないのかい?《
「いいや、嬉しすぎて良い具合に祝福の言葉が思い浮かばないんだ《
自分でも嘘くさいと感じる言葉が自然にこぼれる。外交官時代に培った社交辞令をサディ相手に使うとは思いもしなかったが、口にしてしまったものは仕方がない。満面の笑みを取り戻すサディに気づかれぬように、カゼルは憂鬱げに深く息を吐いた。