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Felicitar.5

「はじめまして、エナ嬢。サディの悪友、カゼル・ブリューゲルです《
「お噂はかねがね《
 白い婚礼のドレスに身を包んだエナは、言葉少なに会釈した。ヴェールの下、細い金の髪が揺れている。
「それにしても美しい花嫁さんだ。サディにはもったいないくらいだな。私があいつと同じくらい若かったら、教会からかっさらっていたのに《
「あら貴方、それってどういうことなのかしら?《
 カゼルの妻がきゅっと二の腕をつまむ。冗談めかしてはいたが、かなり力の入ったそれに思わず声が漏れた。エナはそんなブリューゲル夫婦のやり取りを見て、口元を覆う。
 式の朝、花嫁の控室。妻とサディの計らいで、カゼルは式直前にエナと会うことになった。サディは別室で用があるらしく、席をはずしている。カゼルはまだ『おめでとう』と言えてなかった。
 東の窓から燦々と降りそそぐ朝陽を浴びて、純白の花嫁はとても綺麗に見えた。妻の言うように、エナは文句のつけようのない娘で、サディの審美眼が一級のものであることがうかがい知れる。会ってみれば、なぜあれだけ難癖をつけていたのか、分からなくなるほどだった。
 軽い冗談を交えて話していると、時間が飛ぶように過ぎていった。サディはまだ戻ってこない。ぎりぎりで花嫁を迎えに来るのだろうか。気をもんでいると、エナが妻に耳打ちをしていた。妻は、心得たとでも言うように深くうなずいている。
「サディさんに伝言を頼まれたわ。少し行ってくるわね《
 さらりと身をひるがえし、彼女は部屋から出て行ってしまった。扉が閉まるのを見届けて、花嫁に視線を戻すと、目が合ってしまった。
 彼女の瞳は、澄みきった空の色をしていた。何もかもを見ていて、何もかもを見通す天の瞳。心に秘めているはずの懊悩を見抜かれたような気がして、カゼルは少したじろいだ。
「カゼルさん《
 視線を外そうとすると、咎めるように吊を呼ばれた。視線で縫いつけられたように、体が動かせなくなる。
「彼が沈んでいました。『どうしてお祝いの言葉を言ってくれないんだろう』と《
 口を閉じ、彼女は観察するようにカゼルの瞳を覗きこむ。何か言い訳をしなくてはならないと思うのだが、どうすればいいのか適切な解答が出てこなかった。けれどエナは返事を求めていたわけではないらしい。
「でも、会ってわかりました《
 と、静かにカゼルに告げる。
「カゼルさんは、わたしと同じなんですね《
 そう言うと彼女は、なにか愛らしいものを見る時のように笑みを浮かべた。どういうことかと尋ねると、微笑を絶やさずに答えを導き出す。
「彼を愛してる。わたしも、カゼルさんも《
「まさか! 私はサディと親友だが、恋人になりたいと思ったことはない《
 突拍子もない言葉で、ようやく視線の呪縛が解けた。一歩後ずさり、乾いた失笑をもらす。だがエナの追撃はカゼルを絶句させた。
「そうですね。カゼルさんは彼に恋をしてはいない。『かってに好きに』なっているだけだから。永遠を誓ったわけではないから《
「どうしてそれを!《 
 カゼルとサディの友情の始まり、そのフレーズを口にした花嫁は笑みを消し、口元にアルカイックな寛容を浮かべた。わたしはあなたを受け入れますよという茫洋としたメッセージ。処女懐胎した聖母の表情に似ているようでいて、遥か東方の聖人にも似た、曖昧な表情。けれど、空色の両目が、カゼルの胸の内を見透かしていた。
 ――カゼルはサディを『好き』だった。
 『好き』、つまりエゴから生まれた純粋な好意は単純で幼稚だ。『好き』だから放したくない。『好き』だから自分だけのものにしたい。稚拙な独占欲で、相手の真の幸せを願えない。
 たとえ自分のもとから離れるとしても、君が幸せでいてくれればいい。そう思うには『好き』であるだけでは足りない。祝福には、好意と一緒に愛情が必要だ。そしてカゼルはサディに溢れんばかりの愛情を持っていた。それは確かなことだった。
 けれど、愛情は永遠だ。恋が消えても、愛は残る。『好き』という身勝手な感情をぶつけることで始まった友情は、相手を祝福する愛情を加えることで、崩壊してしまうような気がしていた。彼が自分のところからいなくなると同時に、友情さえも消えてしまうような気がしていた。だから言えなかった。言いたくて言いたくてたまらないのに、言葉にならなかった。口が動いてくれなかった。
「彼を裏切るようで、怖かったのでしょう? だから『おめでとう』と言えない《
 エナの言葉は優しく彼を包みこんだ。カゼルの唇が皮肉気に持ちあがる。
「君のような娘に言い当てられるだなんてね。これでも外交官時代はポーカーフェイスを褒められたものだが《
「だって、同じ人を愛していますから《
 しれっと言い放つエナを見て、カゼルの皮肉気な笑みはますます深まった。きっとサディは尻に敷かれるだろう。まったく女というものには、勝てる気がしない。
「けれど、カゼルさんは彼より真面目すぎますわ。彼はもう、十分な愛情を見せたはずです。ご自分の式を思い出してくださいませんか?《
 何十年も前の、祝福の嵐が脳裏に浮かぶ。まだ若い情熱にあふれていたカゼルとサディは、シャンパンをかけあいながら、笑いあっていた。サディは何度も何度も、酔って倒れて夢の中でさえ、カゼルに『おめでとう』と言い続けていた。
 もし相手に愛情を抱くことを、二人の友情への裏切りだとするのなら、カゼルはとっくに裏切られていた。ならば、己が裏切ることに引け目を感じることはないのかもしれない。
 最初の出会いの時、彼等は永遠を拒絶した。けれども長い友情は、誓約よりも確かに永遠を結びつけていた。
 ドアノブが回る音が耳朶を打った。
 花婿のようやくのご登場だ。アイロンのきいた白い礼朊、さらさらの白い髪、整った美貌、細い肢体、紫色の瞳。あの日と同じように、甘い感情が湧きあがる。
 サディ、と口は自然に呼びかけていた。
「おめでとう《
 愛していると告げるように、優しく柔らかく祝福を紡ぐ。
 サディの顔に最上級の笑みが浮かんだ。紫瞳が喜びで華やかに輝く。その「きれい《な光で、カゼルの胸に湧いた甘露は爽やかな薔薇水へと変わった。馥郁たる芳香をたゆたわせながら、薔薇水は二人を祝福するだろう。胸に溢れる熱い思いを、言葉にするすべをカゼルは知らない。ただ、まなじりに薔薇水が浮かび、朝陽を反射して透明な光を放った。その一瞬の光が永遠を照らしだし、二人の友情を永久に焼きつけていた。

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*2011.07.01.up*