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稲荷と黒猫

「稲荷、あぶらげよこせよ」
 ぶっきらぼうな声が境内に飛ぶ。月は沈んで星だけが空に瞬く深夜。星の光に艶々と毛皮を光らせて、一匹の猫が姿を現した。やしろ の前、賽銭箱のへりに跳び乗って再度呼びかける。
「聞こえてないのか? あぶらげよこせっつてるだろ。腹減ってんだよ」
 黒猫は不満げな顔をして、社に話しかける。彼が四つの足をのせている賽銭箱は普通のものと違い、小銭の代わりに油揚げが山ほど捧げられていた。
「き……聞こえてるよ……」
 社の中から細く答えがする。外の様子をうかがうように、社の格子戸が開き始めた。警戒しているのか、その速度は見ていてじれったくなるほど遅い。
「こんばんは、黒猫くん。今夜も来てくれたんだね」
「来たくて来たんじゃねーよ。今日は獲物が少なかったから、仕方なくだ」
「そ、そうなの……」
 社から顔を出したのは一匹の稲荷狐。黒猫を見て目を輝かせたものの、冷たい口調に首をすくめている。
「で、喰っていいのか?」
「えと……その……」
「はっきりしろよ。お前、稲荷のくせしてどうしていつもおどおどしてんだよ。もっとシャキッとできないのか?」
「う……」
 ガキ大将にしめあげられるいじめられっ子のように、稲荷は涙を浮かべる。けれど、黒猫が睨みつけるせいで、本格的に泣くこともできない。こみあげる嗚咽を必死で抑えながら、稲荷はたどたどしく言葉をつないだ。
「あの、ね。その油揚げはね、みんながぼくらに供えてくれたんだ。ホントはね、君が食べちゃいけないんだよ? だからね、君のはね、ぼくの『おさがり』じゃなきゃいけないんだよ?」
「んなこた知ってるよ。だから喰っていいか聞いてんだろが」
「怖い顔しないで! 『おさがり』をもらうときはね、ホントはね、ありがとうって思わなきゃいけないんだよ? そうしないと、ぼくが嫌だって思っても、君に祟りがかかっちゃうんだ。あのさ……君、ちゃんと思ってる?」
 恩着せがましいことを言っている、と稲荷は自己嫌悪する。けれど黒猫を守るためには尋ねなくてはならないのだ。彼は野良猫で、自分は末席に位置するとはいえ神の眷属だ。しきたりを守らない者には、自分が意図しなくても災いをふりかけてしまう。黒猫に嫌われるのは嫌だが、黒猫が傷つくのはもっと嫌だ。
「……」
 小さな返事が聞こえたが、何と言っているのかは分からなかった。すがるような目で黒猫をみる。
「わっかんないのかよ!」
 目があった黒猫は、怒ったような声で叫んだ。毛が逆立っている。
「オレがいつ稲荷をないがしろにしてるなんて言った? なんでわかってくんねーんだよ」
「え?」
「オレ、お前のこと嫌いだなんて言ったこと一度もないからな! 感謝だってしてるんだからな! 稲荷には言わなくても、わかってくれるって思ってたのに!」
 毛を逆立てて、彼は饒舌になる。威嚇する数秒前のポーズをとっていたけれど、稲荷はこぼれる笑みを止められなかった。だって黒猫の目はあっちこっちに泳いでいる。彼がパニックに陥った時よくやる癖だった。
「じゃあ、ぼくのこと、好き?」
「あたりまえだろ!」
 賽銭箱からぴょんととびおりて、黒猫は鳥居のほうへ走っていく。全速力だ。油揚げを持っていくの忘れてしまっている。まっ黒な毛の彼は瞬く間に夜に溶けてしまった。
「……あたりまえ、だって……」
 稲荷の顔がふにゃりと崩れた。もふもふの尻尾に頭をうずめるが、鼓動がどんどん激しくなっていく。
「あたりまえだって! ぼくのこと好きなのあたりまえだって! やった! やったあ!! 黒猫くんがぼくのこと好きって言ってくれたぁ! わぁい!!!!」
 社の内をごろんごろんと転がって、稲荷は奇声をあげる。壁に頭をぶつけて気絶するまで数十分、稲荷の歓喜はやまなかった。

  了

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*2011.07.01.up*

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