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監禁少女.1

 僕が監禁少女を買ってから、もう一年と半年が過ぎた。
 一ヶ月で一年分の成長をする監禁少女の身体年齢はあと数週間で十九になる。今のところ精神プログラムにさしたる欠陥はない。それに故障もまだ一度もしていなかった。人間の子供でいうなら健康優良児といったとこだろうか。二、三ヶ月で活動停止させてしまうユーザーに比べれば、僕はかなりの優良ユーザーだといえよう。
 監禁少女とは数年前に発売されて以来、絶大な人気を誇る屋内用育成玩具だ。接し方によって成長の仕方が違い、最終的には世界で一つしかない自分だけの少女を育てることができる。いくつかの初期設定はユーザー自身で決めることができるが、予想図通りに育つことは稀だ。黒髪黒目の大和撫子と設定しておいても、数ヶ月後にはまったくのゲルマン系の外見になっていることだって珍しくない。そこが監禁少女の醍醐味でもあるのだが。
 監禁少女は二十世紀末に大流行を巻き起こした携帯用育成ゲームに端を発しているという。けれども監禁少女は外へ出すことはできない。内部の機械があまりに精密過ぎるため、屋外に出るといやがおうでも寿命を縮めてしまうのだ。監禁少女を大切にするユーザーなら、そんな自殺行為は絶対にしない。正式名称は他にあるが、その性質故に屋内用育成玩具は監禁少女と呼ばれている。
 僕の監禁少女にはアザミと名づけた。アジア系の容姿がベースになった初期設定はそのままで、けれど僕の想像以上に愛らしく育った彼女は僕の理想と言っても過言ではない。細長い手足に、一度もハサミを入れたことのない黒髪。絹糸のようなそれは彼女専用のケープのようにくるぶしまで彼女を包んでいた。シルエットはスラリとしているのに幼びた顔立ちのせいで、中学生ぐらいにしか見えない。文字通り一度も日の光を浴びたことのない肌はもちろん純白。防水加工された皮膚はさらっとした触り心地だ。瑞々しいのも結構だが、僕はこの淡白な感じが好きだった。
 着るものは簡素なワンピース以外許したことはない。監禁少女を人形のように扱うユーザーはコスプレ紛いのごてごてした格好をさせるそうだが、生憎と僕にはそんな趣味はなかった。どちらかといえば痩せ気味のアザミはシンプルな服が似合う。今日は裾が膝下まである花柄のワンピースを着せていた。色彩を灰色で統一して窓もつぶした僕の部屋では、アザミの周りだけ華やかに光って見える。精巧に作られた体はしなやかに動き、今も楽しそうに部屋の中をくるくる回っていた。
 一昔前に流行した言葉を使うなら、僕は引きこもりに分類されるのだろう。それもかなり重症の。通常の引きこもりは自室にこもっているものの、まだネット上では他人と交流していた。全盛期の頃は引きこもり専用の掲示板もあったらしい。だけど僕は匿名同士の会話でさえ恐ろしかった。簡潔に言えば、ただただ人が怖い。他人と会話できる人間の思考回路がよくわからなかった。相手が何を考えているのかわからないのに、どうして恐れずにいられるんだろう。僕にはさっぱりわからない。
 僕がじかに接することができるのはアザミしかいない。気の置けない極少数の友人とでさえ、モニター越しでしか会話ができなかった。今、この瞬間だってパソコンのディスプレイに向かってはいるものの、している事は商品の注文だ。アザミが食べる固形燃料のストックが少なくなっていたから、そろそろ買い足しておかなければならない。サービス業が異常に発達した最近では、部屋から一歩も出なくとも生活できた。宅配便も全て機械がやる時代、生身の人間と遭遇するのはいくらでも避けられる。人間恐怖症の引きこもりにとっては、便利な世の中になったものだ。
 ノート型パソコンの上蓋を閉じて、僕は振りかえった。
「アザミ、何してるの?」
 くるくる回っていたアザミは花のつぼみがほころぶように笑って僕の方へとかけてくる。
 そうするように育てたのは自分だけど、アザミのきらきら光る黒い瞳に見つめられると思わず顔を赤らめてしまう。アームチェアに座っていた僕の膝に顎を乗せ、アザミは元気よく答えた。
「サカナ!」
 膝に顎を埋めたまま、アザミは部屋の隅に置いてある水槽を指さした。顔全体から喜色をにじませて、アザミは僕の言葉を待つ。実際、アザミは楽しくてたまらないのだろう。主人に従順なこの監禁少女は、僕が机に向かっている間ずっと一人遊びをしていたのだ。部屋から一歩も出られない彼女にとって、僕にかまってもらえない時は退屈以外の何ものでもない。
 水槽の中にはほどよく茂った水草と、その合間を泳ぐ二匹の金魚がいた。一瞬、なんでそんなものが自分の部屋にあるのかと思ったが、先日アザミがねだりにねだったものだったとすぐに思い出す。
 アザミに物事を教える時は、いつも立体投影機で説明していた。立体投影機とは読んで字のごとく、立体を映し出す機械のことだ。スイッチを入れればすぐに投影できるよう、いつも部屋の四隅にスタンバイしている。
 僕は毎日アザミに絵本を読んであげているのだけど、それだけではやっぱり精神プログラムが偏った成長をとげてしまう。実物に最も近い映像を映す立体投影機はテレビよりも便利に物事を教えられた。灰色の部屋に浮かびあがる動物や町並みは現実以上にリアルで、アザミはいつも食い入るように見つめている。なかでも空の映像とサカナがお気に入りで、サカナが部屋で飼えると知ったときには部屋中を駆け回って大喜びしたものだ。いつも聞き分けのいいアザミが僕の言うことを聞かずにずっとねだり続けた初めてのものだった。
「サカナって……。アザミ、あれは金魚だよ。金魚の和金。結構高かったんだから」
 水槽や水草のセットはそんなに高くなかったのだが、中身の和金が一番高かった。生き物だから仕方ないとは思うが、それでもゼロが四つも並ぶのは反則だろう。おかげで僕の財布は大打撃を受けてしまった。当面の間は三食カップ麺だ。
 アザミはそんな僕を知ってか知らずか、眉根を寄せて僕の言葉を繰り返す。
「きぎょ?」
「違うよアザミ。き、ん、ぎ、ょ。金魚の和金だってば。アザミがほしいって言ったんだから、ちゃんと覚えなさい」
 少しだけ居丈高に言ったが、多分アザミは覚えられないだろう。監禁少女の知能プログラムは五歳児から八歳児程度で止まり、それ以上になることはない。個体によって差はあるが、覚えられる単語数も限られている。アザミの容量はもう満杯に近いはずだ。案の定、アザミは眉間のしわを尚深くした。
「きぎょのわきん? コノ子タチはサカナだよ。サカナはサカナなのっ!」
 僕を見上げてそう言った後、アザミは頬を膨らませる。僕の膝を両手で叩いて顎を離した。ぷい、と顔をそむけ、腕組みをする。それがあんまりにも妙な顔になっているものだから、僕は苦笑を押さえられなかった。
「わかったよ。金魚じゃなくてサカナね。それで、サカナがどうかしたの?」
「サカナのマネ!」
 むくれていたのをすぐに忘れて、アザミはまた笑顔になった。両腕を広げて上下に動かしながら一生懸命説明をし始める。その姿はサカナというよりはトリに似ていたけど、それを言うのはやめておいた。
「アザミはココから出られないでしょ? サカナもソコから出られないでしょ? だからね、アザミとサカナは一緒だよね。だからアザミはサカナのマネしてたの。キョーヤもサカナのマネする?」
 小首を傾げてアザミは僕に問いかけた。キョーヤというのは僕の名前だ。京弥と書くが、アザミはウの音が上手く発音できないらしい。いつも間延びしたように聞こえてしまう。
「いや、僕はしないよ。それよりもお昼にしよう。もう十二時過ぎただろ」
 僕はカップ麺、アザミは固形燃料。彩りに関しては寂しいことこの上ないが、僕にとって彩りはアザミだけで事足りる。僕はアザミの頭を撫でて、アームチェアから立ち上がった。アザミは座ったまま僕が撫でたところに両手で触れている。
 アザミはきっとこんな生活がずっと続いていくのだと思っているのだろう。監禁少女の思想はやはり小学生低学年程度だから、よっぽどのことがない限り自分から人の死を考えつくことはない。まして自分の余命があと幾ばくもないなどとは夢にも思わないだろう。けれどもアザミの機能停止時刻は刻一刻と近づいてきている。
 僕は部屋と地続きの台所へ行って、新しいカップ麺の箱を開けた。ヤカンを火にかけ、沸騰するのを待つ。アザミはテーブルを拭いていそいそと準備をしている。部屋の中央に置いてある背の低いテーブルで向き合って食べるのが僕とアザミの約束事だった。
 監禁少女の平均寿命は約一年。これは二、三ヶ月で死なせてしまうユーザーが多いからだけれど、監禁少女の活動期間は最初から決められている。育て方によって数日の差はあるが、約六百日。単純に計算すれば、一年八ヶ月程だ。
 監禁少女は身体年齢が十五を超えると、活動維持機関が急激に劣化していく。そして二十になれば自動的に停止してしまう。騙し騙し稼動させても、せいぜい一週間ぐらいしかもたない。どれだけ多く見積もっても、アザミの余命は一ヶ月強だった。
「キョーヤ、オ湯わいてるよー」
 ぼうっとつっ立っていたからなのか、気づけばアザミは呆れ顔で僕を見ていた。テーブルの上を見れば、もう二人分の箸が並べられていてる。そしてヤカンは甲高い悲鳴をあげていた。
「えっ、もう沸いたの?」
 慌てて火からおろし、カップに湯を注いだ。アザミの固形燃料は封を開けて皿に盛るだけでいいから、カップ麺を待つ間にできあがる。
「キョーヤ、キヅクのおそーい」
 スカートを広げてテーブルの前に座っていたアザミが不満の声をあげた。両手に一本ずつ箸を持って、めちゃくちゃに振り回している。僕の思いを知らないアザミの表情には一片の曇りもない。
 首を横に軽く振って、僕は暗いもの思いを打ち消した。今は落ち込むべき時じゃない。監禁少女を買ったときから、それは決まっていたことだ。それなら今はその運命を嘆くよりも、アザミと一緒にいられる時間を大切に過ごすべきだ。
 そう自分に言い聞かせて僕は皿に乗せた固形燃料とカップ麺を運んだ。決してアザミに内心を気取られないように明るく話かける。
「お昼を食べたら絵本を読もうか。今日はどんなお話がいい?」
 声は微塵も震えない。アザミに余命を隠して接するのにはもう慣れた。罪悪感は元からない。アザミの活動停止は絶対に避けられえぬものなのだから、むしろ教えるほうが残酷だろう。
 僕はアザミに夢を見せてあげていたい。アザミは現実なんて見なくていい。この世界にある綺麗なもの、優しいもの、素晴らしいものだけを見ていればいい。青く澄んだ空の下、世界は善意であふれていて、悲しいことや傷つくことなんてないのだと思わせていたい。僕はもうそんな夢をみることはできないから。だからこそ、アザミにはずっと夢を見ていてほしい。
 僕に尋ねられたアザミは頬に手を当てて少し考えこんでいたが、すぐに目を輝かせてタイトルを叫んだ。
「ねむりひめ! もちろんキョーヤが読んでクレルんだよね?」
「当然ですともアザミ姫。この京弥、アザミ姫の仰せならどんなことでも従いましょう」
 胸に手をあて深々と頭を下げると、アザミは無邪気に歓声をあげた。これでいい。アザミには笑顔が一番似合う。僕とアザミは笑いながら、昼食をとりはじめた。

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*2011.07.01.up*

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